鎌倉幕府末期において活躍した源氏の棟梁たる足利尊氏と稀代の軍事の戦略家と謳われた楠木正成に共通すること
は、いずれも戦が嫌いであったところである。
世の平定を願い、民の平穏な暮らしを熱望していた点で志を同じくする。
楠木公が御醍醐天皇による親政を期待して河内の国赤松城で挙兵したのもやむにやまれぬ状況からである。
城といっても、砦と言ったほうがふさわしいごく粗末な拠点であった。
そこで、京都の幕府六波羅探題の何万という大軍に対して、たった500~600人という戦力で何ヶ月も戦って負けな
い戦を展開したのである。
また、鎌倉幕府から10万余の主力軍も加わり絶対絶望の状況であった。
無論足利尊氏の挙兵と示し合わせてでなければ、いくら楠木公と言えども何十万という大軍相手には1日とはもたな
いことは明白である。
足利尊氏が鎌倉の幕府本陣ではなく京都六波羅探題を先に討ったのも兵法に適っている。
時の執権北条高時や長崎円喜の政は、まさしく私利私欲にまみれた民を省みない腐敗したものであった。
各地で反乱が起こったのも自然の成り行きである。
新しい時代の幕開けにはそれなりの理由があり、大義がある。
志を高く、世のため人のために事業を行うとき天が味方するのは自然の摂理である。
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