a0070_000071運命を自ら変える、開くとはどういうことか。

陰シツ録という書物の中で袁了凡の教えが紹介されている。

幼いときに父に別れて母の手一つで育った貧しい青年がいた。

あるとき老人に出会い、「お前は進士として立派に成功する人相を

もっている。そういう運命の持ち主である。

お前は何歳のときに試験に合格して、進士になったあと何年何月に

死ぬ。子はない。」

そして、この老人が予言したとおり、青年はその年に進士の試験に

合格して、その他もろもろことごとく当たりだした。

青年はえらく感心し、人間の運命は決まっているのだ。

死ぬときまで決まっているのであれば、この先、金や地位や、名声等

無意味だ。と、とらわれない心境に陥った。

ある日、仕事の関係でお寺に泊まったときのこと。

雲谷禅師という高僧がこの青年を呼んで、「君は年に似合わず人間が

できておるようだが、どういう修業をしてきたのか参考までに教えてくだされ。」

と言った。

青年は若いときにある老人に自分の運勢を見てもらい、ことごとくそれが

あたっているのであくせくしてもしょうがない。自分の人生はあらかじめ

決まっている、陰シツである。だから何ものにもとらわれない心境になったのです。

と正直に答えた。

すると、禅師は「なんだそんなことか。それではお前はつまらぬ人間だ」

と青年に言った。

青年は非常に驚き、禅師に尋ねた。

禅師曰く、

「確かに人間には運命というものがある。

しかし、その運命は一生探究しても分かるかわからないものである。

運命は天のなすべきものであるとともに、自ら創るものである。

他律的な運命に支配されるのではなく、今日より自由な身になって

人生を創造してみろ。」

と助言した。

青年はえらく感心して、心新たに刻苦勉励に努めた。

すると子もでき、死ぬと言われた日にも死なず、老人の予言が

ことごとく外れ出した。

という実話である。

確かに人それぞれの宿命は存在するが、運命は動いて已まざるもの、

自己の修養によっていくらでも創造することができる。

安価な占いにとらわれず、自分がもつ無限の可能性を信じて、命を運

んでいってこその人生である。

運命を自ら切り開く。

 

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